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130年の歩みがつなぐ未来へ――小倉運送の歴史とこれから
2025.10.09

130年の歩みがつなぐ未来へ――小倉運送の歴史とこれから

― “現場力”はどう育ち、そして未来をどう切り拓くのか?―

小倉運送は、1891(明治24)年に北九州小倉の地で創業した運送会社です。最初は数隻の艀(はしけ)と10名にも満たない作業員で肩荷役を行うごく小さな事業から始まりましたが、現在ではトラック・鉄道・フェリー・海上コンテナ・倉庫管理などを組み合わせ、“総合物流企業”としてお客様のさまざまなニーズにお応えできる体制を整えています。

私たちは、130年以上にわたって地域とともに歩み続けてきました。そのなかで育まれたのが、「現場で気づき、すぐ行動できる」という柔軟な社風です。歴史の長い企業というと「堅い」「大きな変化に対応しにくい」という印象を持たれることがありますが、当社の場合はむしろ“小回りの良さ”を活かして進化してきたのが特徴です。

ここでは、小倉運送が生まれた明治期から現代に至るまでの主な出来事を振り返りながら、当社ならではの強みや企業文化をお伝えします。学生の皆さんが、会社選びや今後のキャリアを考えるうえで、一つの参考になれば幸いです。

1.艀輸送から始まった――明治期の挑戦

1.1 北九州・小倉で「増井組」が立ち上がる

1891年、まだ道路整備が十分でない時代に、北九州の小倉では石炭・鉄鋼を中心とした産業が急激に発展していました。工場が製品を作っても、雨が降れば道は泥まみれ、晴れれば砂埃が舞う環境でスムーズに運ぶ手段が少なく、産業界が大きな課題を抱えていたのです。

創始者の増井千代吉は、もともと「門寿丸」という名の艀(はしけ)を個人で保有し、小倉、門司間で瀬渡し業を営んでいました。当時、運河を利用した艀輸送は最良の輸送手段とされていました。その「門寿丸」を輸送の手立てに、小倉に創業した九州で最も近代的な工場の一つとして知られていた製紙工場(千寿製紙のちの十條製紙)に呼びかけ構内作業を請け負うかたちで事業を起こしました。

1.2 “小さな組織”ならではの現場力

当時はが数、作業員も10名未満といった規模でしたから、現場で気づいたことはすぐ共有し、改善に直結させることができました。「石炭の積載位置を少し変えれば荷崩れしにくい」「雨対策をこうすれば製品が傷まない」といったアイデアが日常的に飛び交い、実行されていたのです。

この「現場主導で即改善」という姿勢は、その後130年以上にわたって受け継がれることになります。創業期の“小回りの良さ”が、当社のコアとなる企業文化を形づくったとっても過言ではありません。

2.戦後復興期と“小倉運送株式会社”への発展

2.1 法人化に込めた覚悟

太平洋戦争に突入すると、軍需産業に関する物資の輸送が優先され、艀そのものの調達が困難を極め、馬車による運搬へと転換を迫られました。第二次世界大戦後、日本全体が焦土と化した中、戦後復興の一翼を担って運輸省は物流の動脈と位置づける「鉄道」と「トラック」の両輪を立て直すべく、陸運に関するあらゆる規制緩和、独占排除などの施策を打ち出しました。後の代表者である増井 勇は、このような世の動きに素早く反応し、会社設立の準備を水面下で進めました。

熱意ある訴えを精力的にこなした甲斐もあり、九州でいち早く運輸大臣より通運事業の免許を取得。時を同じくして1950年4月小倉運送株式会社が設立。「町の輸送を支える」という使命を改めて胸に刻み、従業員36名・資本金400万円で新たな一歩を踏み出しました。会社設立当初の主な輸送手段は依然として馬車でした。パルプ材や製品などを馬車に積み替え工場や駅に運んでいました。これは、単なる会社設立ではなく、“焼け野原の中から地域の人達と一緒に地元を支え直す”という強い意志と大志の現れでもありました。設立早々に毎日十数車に及ぶ貨物の発着作業で賑わっており、社長の増井勇は連日早朝出勤し、即座に地下足袋に履き替え、自ら陣頭指揮をとり、従業員達を鼓舞していたとの記録が残っています。

2.2 信用がチャンスを生む

1954年になると通運免許取得店が全国で320社になり、免許取得店で全国ネットワークの構築化に取り組んでいました。小倉運送もいち早く参画の意向を表明。やがて全国各地に大小の提携パイプラインを形成していくうえでの礎となりました。昭和20年代終盤にはオート三輪トラックが販売され、当社も時流に乗り遅れることがないようにと導入を決断。後に、このオート三輪トラックは「小口混載便」方式へと進めるうえで大きな戦力となり業績向上に貢献することになりました。やがて車両は4輪トラック、大型車など、時の流れとともに急速に整備されていきました。

当時は高額な投資が難しい企業も多く、「物流を外部に任せたい」というニーズが急増していました。小倉運送は自社の車両とノウハウをフル活用し、北九州のみならず周辺地域の戦後復興を支援。結果的に「頼れる物流パートナー」として知名度を高め、さらなる事業拡大の糸口をつかむこととなります。

2.3 北九州産業の飛躍とともに

戦後復興が一段落すると、今度は北九州に大規模な重工業が集積するようになります。八幡製鐵(現・日本製鉄)が高炉を再稼働し、化学工場も増え、鉄鉱石・石炭・薬品といった重量貨物を安定的に一斉に大量輸送ができる企業が求められました。

小倉運送はこれに対応するため、大型車両の整備のほか、基幹となる列車を利用した輸送体制の強化に知恵と汗を迫られました。この課題に対し、打ち出した方策は、鉄道貨物の「混載仕立」でした。関東、近畿エリアからの到着貨物を大型トラックで配達し、その復路便に荷物をつけてもらうようにして、九州一円の広域集配機能の強化に尽力しました。この方策は同業他社の強力な支援もあり、比較的順調に推移していき、全国に「通運の小倉運送」としての評判を上げていきました。

3.港湾運送への挑戦――“海”までカバーする総合力

3.1 港湾運送事業許可の取得

1958年、小倉運送は港湾運送事業の許可を経て、海上をルートとした輸送に本格的に関わり始めます。最初の業務は、海運会社との業務提携による大阪港と日明港(小倉港)の定期貨物船の荷役と配送業務です。1962年の四国、松山・伊予三島航路の作業受入れへと引き継がれていきました。

陸運のノウハウを“海”へと広げ、船上から陸揚げした貨物をトラックで九州一円運ぶところまでサポートすることで、一気通貫のサービスを提供。「人も設備もまだ少ないのに、よくやる」という声もあったそうですが、少人数でも段取りをしっかり組み、高い対応力を発揮してみせました。

3.2 工場構内作業へと拡大

1967年10月、以前から輸送を任されていた地場大手メーカーの構内営業所を開設し、現場の課題を共有。たとえばフォークリフトの動線を見直して効率化したり、荷降ろし順を変えて生産ラインへの影響を最小化したりと、きめ細かな対応が評価されました。

結果、大手メーカーの功績も追い風となり「北九州の物流といえば小倉運送」と言われる存在に。地域内外から新たに進出してきた企業にも、“物流を任せるならここが安心”と頼ってもらえるようになったのです。

4.複合輸送への展開――高度経済成長期のさらなる飛躍

4.1 トラックと鉄道、フェリーを組み合わせる

高度経済成長期には、全国で「早く・大量に」物を動かす需要が急増しました。そこで小倉運送は、鉄道貨物輸送を軸足にトラックによる陸上輸送に加え、フェリーを使った長距離海上輸送を導入。複数のモード(輸送手段)を組み合わせる“複合輸送”を強化していきます。

この一連の流れを最適化することで、時間とコストを同時に削減。「鉄道のダイヤに合わせてその他のシフトを調整する」など、現場の柔軟な段取り力が光りました。こうした努力が実を結び、1968年初夏九州から関西・関東への輸送ルートをいち早く整備することに成功します。

4.2 地道な改善が大きな成果に

フェリーや鉄道などの外部要因に合わせて荷物の積み替えや保管場所を変える際、現場では小さな改良が頻繁に行われていました。ちょっとした配置変更でも作業効率が大きく変わるのが物流の面白いところ。

現場が「やってみよう」と思ったら、すぐトライし、結果を共有し合う“風通しの良さ”を長年大切にしてきました。小倉運送の社訓(1955年3月制定)の中には、「能率向上の為、創意工夫と実行をもって改善を図れ」、「横の連絡を密にして円滑なる運営を期せ」という言葉があります。その言葉は現在にまで形をかえることなく引き継がれています。

トラックドライバーや作業スタッフが垣根を超えて協力し、大掛かりなアナログ管理でもスピード重視で乗り切る柔軟性は、昔も今も変わらない当社の強みだといえるでしょう。

5.21世紀の展開――新拠点・新技術への取り組み

5.1 福岡エリアへの拠点拡大

2000年代に入ると、九州全体の交通網が整備され、福岡都市圏への物流需要が増加。福岡エリアは、経済、文化、商環境などあらゆる面で北九州地区とは異なる趣と勢いがありました。特に消費地として九州の中枢にふさわしい活力に満ちていました。1975年3月「福岡貨物ターミナル駅」開業を機に、当社も広域集配機能の拡大と福岡エリアの通運マーケット参入を見据え、福岡市東部の臨港地区に新たに1000坪の用地購入、事務所及び荷捌ホーム、300坪の倉庫棟を建て準備をしていました。また同駅での通運免許取得にも踏切りましたが、既存の通運関係会社との調整に難航し、正式に通運免許が取得できたのは、それから10年後のことでした。この免許取得により、「北九州」「福岡」、この両拠点から鉄道貨物の発送、到着業務が可能になりました。この事は、今でも当社の輸送サービスの優位性に繋がっています。福岡エリアでは、食品、生活雑貨など多種多様な商品の取り扱い、トラック輸送、倉庫業、海上コンテナ輸送など柔軟で幅広い対応が求められました。近年では、2300坪の敷地に1350坪の荷捌場、事務所を開設。越境EC(国境を越えて商品やサービスを売買する電子商取引)貨物の取扱拠点として運用されています。当社の“現場力”はあらゆる障害を乗越え、規模が大きくなっても発揮されており、従業員のアイデアがすぐ形になる風土が新拠点にも浸透しているのが特徴です。

5.2 デジタル化の推進

近年は物流業界全体で、ITやデジタル技術を活用したオペレーション効率化が注目されています。当社においても、自社基幹システムの開発や運行管理システムの導入など、段階的なデジタル化を進めています。

まだすべてがオンライン化されているわけではありませんが、たとえば車両動態管理システムを利用することで車両の状況をリアルタイムに把握することができ、次の工程を遅延なく共有することで、ドライバーと運行管理者間で連絡を取り合う頻度や時間が少なくなったなど、少しずつ仕組みを変えていく試みに取り組んでいます。こうした変化の中でも、肝心なのは「使う人の目線で改善できるか」。現場主導のカルチャーがある当社では、この点でも着実に成果を積み重ねています。

5.3 働きやすさへの取り組み

小倉運送では、「社員一人ひとりが長く安心して働ける環境をつくることが、お客さまへのサービス向上にも直結する」という考えのもと、福利厚生や教育制度の充実に力を入れています。業務量が偏りがちな物流業界では、まだまだ有休が取りづらい印象があるかもしれませんが、当社では時間単位で取得できる有給制度も導入しており、1~2時間といった細切れの時間でも休みを確保できるよう配慮しています。

主な福利厚生制度の一例

  • ワクチン補助 
  • 慶弔見舞金制度
  • 総合福祉団体保険
  • 財形貯蓄制度
  • 永年勤続表彰

こうした福利厚生を通して、当社は社員一人ひとりが腰を据えて働きながら、着実にキャリアアップしていける環境づくりに注力しています。現場力を大切にする当社にとって、社員が安心して仕事に打ち込めることこそ、さらなるサービス向上や技術革新への原動力になると考えているのです。

6.小倉運送の“現場力”とは?

6.1 規模よりも“機動力”を重視する企業文化

当社は、かつて艀(はしけ)1隻からスタートし、戦後の厳しい時代にトラックと馬車を修理しながら走らせた経験を経て、鉄道・フェリーなどあらゆる輸送手段を取り入れてきました。巨大資本や大企業の系列ではなく、あくまで北九州という地に根を張って地域の皆様と一緒に、着実に拡大してきたため、トップダウンに頼らない機動力が自然と育まれたのです。

社員一人ひとりが現場で気づいたらすぐ行動し、必要に応じて上司や経営陣に提案する。その提案が良いと判断されれば、すぐ実行に移される。このスピード感こそが当社の“現場力”を形成しており、時代に応じて進化してきた原動力でもあります。

6.2 地域に密着し、幅広い物流をカバー

当社の業務は、いわゆるトラック輸送にとどまりません。工場構内の資材搬入、港湾荷役、倉庫管理、フェリー輸送、そして鉄道・海上コンテナとの連携など、地元企業や大手メーカーの物流を多角的に支える役割を果たしています。

北九州は、製鉄・化学・機械など重厚長大産業をはじめ、多様な産業が集積してきた地域です。当社はその成長過程を支える中で“総合物流”としての体制を整え、急ぎのスポット便から定期便まで柔軟に対応しています。この強みは、これからの社会でも大いに活かせると確信しています。

6.3 キャリアの可能性とやりがい

当社で活躍するフィールドは、ドライバーや倉庫スタッフだけに限りません。法人営業や運行管理、間接業務、システム管理、物流のコーディネートなど、その領域は幅広く、業務内容も多種多様です。自らのアイデアで物流のフローを変え、実際に効率や安全性が向上したときの達成感は格別です。

たとえば倉庫内の在庫配置を少し変更するだけで作業動線が大幅に短くなったり、輸送手段を調整するだけで配達までの時間が短くなったり、輸送コストが下がったりと、 “現場主導の改善”がダイナミックな成果につながります。仕事を通じて地域産業を支えながら、自分自身のスキルも高められるのが、当社で働く魅力の一つです。

7.これからの小倉運送――未来に向けたメッセージ

7.1 新しい技術とともにさらなる成長へ

130年以上の歴史を重ねてきた当社ですが、これからも現状に甘んじるつもりはありません。物流業界には、AIやIoTなどを活用した高度な仕組みが次々に登場し、環境負荷低減や省人化の取り組みも急速に進む時代です。私たちは、そうした技術を取り入れつつも、「人の知恵が生きる現場力」を最大限に発揮し、より良いサービスを提供し続けたいと考えています。

北九州の拠点だけでなく、福岡やその他のエリアへの展開を通じ、全国とのネットワークを強化していく計画も視野に入れています。輸送ルートの最適化や倉庫オペレーションの自動化など、多くの可能性が広がるなかで、若い皆さんの新しい発想と行動力が必ず活きるはずです。

7.2 就職活動中の皆さまへ

「地元に貢献できる仕事をしたい」

「物流の現場を支えながらキャリアアップしたい」

「自分のアイデアがすぐ形になる環境で働きたい」

こうした思いがある方は、ぜひ当社の門を叩いてみてください。大企業のような華やかな派手さはないかもしれませんが、地域の産業と暮らしを支える“心臓”のような仕事を実感できるはずです。

物流は一見“地味”に思えるかもしれませんが、人とモノと情報の流れをデザインする“創造的”な産業でもあります。北九州の港を出た貨物が、あなたの組み立てたプランで国内外の拠点に届き、生産ラインや店舗を動かす。そんな瞬間に立ち会える職場はそう多くありません。

7.3 歴史ある企業でありながら、未来への挑戦を続ける

艀(はしけ)1隻から始まった明治時代の挑戦。戦後の混乱期に法人化し、地域の復興を支えた昭和期。高度成長期にトラック・フェリー・鉄道を連携させた複合輸送へ踏み出した平成期。そして現代――。

私たちは130年以上の道のりで培った「現場から発想し、柔軟に対応していく力」を大切にしています。大企業のような大きな組織ではないからこそ、一人ひとりが“自分で考えて動く”文化が根づいています。

新しい技術と結びつければ、その可能性はさらに広がります。北九州や福岡だけでなく、日本全国、そして世界へと貨物をつなぐ総合物流企業として、次の100年を見据えたイノベーションに挑み続けたいと考えています。

終わりに

「歴史の長い会社」と聞くと、どうしても保守的なイメージを持たれるかもしれません。しかし小倉運送には、創業当時から変わらず受け継がれる“現場発のチャレンジ精神”と“サービス精神”があります。「門寿丸」という名の一隻の艀から始まった物語は、トラック・フェリー・鉄道・海上輸送と広がり、いまではデジタル技術や新たな設備投資によってさらなる可能性を探るステージへ。

当社が130年以上の歴史を築いてきたのは、時代の変化に合わせて柔軟に動き、課題に正面から向き合い続けてきたからこそ。これまでの歩みを土台に、私たちは「次の時代の物流を創る」という意気込みで、皆さんと一緒に未来を切り拓いていきたいと考えています。

自分のアイデアを持ってイキイキと働きたい方、地域に貢献するダイナミックな仕事をしたい方、そして何より“現場”が好きな方――。そんなあなたにとって、小倉運送は最高のフィールドになるかもしれません。私たちは、情熱をもって挑戦してくださる若い力との出会いを心から楽しみにしています。

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